三代将軍徳川家光の傅役を務めた老中で、剛直な人柄で知られる。若き家光の教育役として仕え、その素行を厳しく諫めたことでかえって疎まれ、ついには改易の憂き目に遭ったと伝わる。しかし後年、家光の没後にその忠節が改めて評価されて名誉を回復されたといい、権勢に媚びず主君に直言した硬骨の士として語り継がれている。