未到
絵島
えじま
ejima
略歴
七代将軍家継の生母である月光院に仕えた大奥の年寄。1714年、月光院の名代として寛永寺・増上寺へ参詣した帰り、木挽町の芝居に立ち寄って歌舞伎役者生島新五郎らと遊興し、門限に遅れたことが発覚した。この一件は大奥の綱紀粛正を求める勢力の思惑もからんで大事件に発展し、絵島は死一等を減じられて信州高遠へ流罪となり、関係者も広く処罰された。世に「江島生島事件」と呼ばれるこの騒動は、大奥内部の権力争いを背景にしていたとされる。絵島は高遠の地で幽閉の日々を送り、1741年にその生涯を閉じた。
未到