江戸後期の儒学者で、美濃岩村藩主松平乗薀の子に生まれ、幕府の学問を統括する林家の養子となって家督を継ぎ、大学頭を務めた。寛政異学の禁によって朱子学が幕府の正学と定められたのを受け、湯島の聖堂付属の学問所を官立の昌平坂学問所として整備・拡充し、幕末に至る幕府教学の基礎を築いた。門下からは佐藤一斎ら多くの学者が輩出し、林家の学問を全盛期へと導いた。