薩摩藩の家老。幕府から命じられた木曽三川の宝暦治水工事の総奉行を務め、莫大な費用と多くの犠牲を払いながらも難工事を成し遂げた。しかし工事の過程で藩士の相次ぐ自害や病死、そして予算を大きく超える出費を招いた責めを一身に負い、工事完成の直後に自刃したと伝わる。故郷を遠く離れた地で藩と部下のために命を捧げた悲劇の家臣として、治水の恩に浴した美濃の地では今も慕われ、その霊を祀る社が建てられている。