未到
保科正之
ほしなまさゆき
hoshina masayuki
略歴
会津藩の初代藩主で、江戸前期を代表する名君として知られる。二代将軍徳川秀忠の子でありながら、正室を憚って外に養育され、信濃高遠の保科家に養われて育った。異母兄にあたる三代将軍家光に見出されてその篤い信頼を受け、会津二十三万石を与えられた。家光の死に臨んではその遺言を託され、幼くして将軍位に就いた四代家綱の後見役として幕政を支えた。武断から文治へと転じる時代の舵取りを担い、殉死の禁止や末期養子の緩和、明暦の大火後の江戸復興、玉川上水の整備などに関与したとされる。会津藩には家訓十五箇条を定めて将軍家への忠誠を第一とする藩風を植えつけ、その精神は幕末まで受け継がれた。私心なく誠実な人柄と名君ぶりは、後世まで高く評価されている。
未到