江戸前期の下総佐倉藩主で老中を務めた大名。三代将軍徳川家光に近習として仕え、その厚い寵愛を受けて累進し、幕政の中枢である老中の座に列した。家光の側近くにあってその信任は格別で、両者の結びつきは主従を超える情誼をもって語られる。慶安四年(一六五一)、家光が病没するや、その死を悼んで殉死した。主君の後を追うことを最高の忠義とみなす当時の武家の気風を体現した人物として知られ、忠臣の名を後世に残した。