三代将軍徳川家光の側室で、五代将軍徳川綱吉の生母。京都の身分の低い家の出身とされ、一説には八百屋の娘であったとも伝わる。大奥に上がって家光の寵愛を受け、綱吉を産んだ。その子が思いがけず将軍の座に就いたことから、低い身分の女性が良縁で富貴を得ることをいう「玉の輿」の語源になったとも語られる。綱吉の治世には母として絶大な影響力を持ち、篤い仏教信仰から、殺生を厳しく戒めた「生類憐みの令」の背景にその意向があったとも伝えられる。