江戸後期の老中首座で、沼津藩主。将軍徳川家斉の側近として権勢をふるったが、放漫な財政運営と度重なる貨幣改鋳で幕府財政を悪化させ、賄賂が横行する政治を招いたとして悪評を残した。「水の出て もとの田沼に なりにけり」と、田沼時代の再来を皮肉る落首が世に流れたとも伝わる。