江戸中期の朱子学者で、加賀藩に仕えたのち幕府に登用された。木下順庵の門下で、新井白石らと並ぶ「木門十哲」の一人に数えられる。八代将軍徳川吉宗の侍講として仕え、その学識と謹厳な人柄で厚く信任された。赤穂浪士の討ち入りを義挙として記録した『赤穂義人録』、平易な教訓を説く『六諭衍義大意』、随筆風に見聞や思索を綴った『駿台雑話』など、堅実で実践を重んじる著作を多く残した。享保十九年(一七三四)に没している。