未到
大岡忠相
おおおかただすけ
ooka tadasuke
略歴
八代将軍徳川吉宗の享保の改革を現場で支えた名奉行として、後世まで語り継がれる旗本。三河以来の大岡家に生まれ、山田奉行を経て江戸南町奉行に抜擢された。町火消「いろは四十八組」の整備、小石川養生所の設立、物価対策や訴訟制度の改善など、江戸の都市行政に幅広く手腕を振るい、吉宗の信任を背景に改革の実務を担った。後には大名格の寺社奉行にまで昇進し、三河西大平藩一万石の藩主に列するという異例の栄達を遂げた。庶民のあいだでは、機知に富んだ裁きで難事件を解決する「大岡裁き」の逸話が数多く生まれ、講談や芝居の主人公として理想の名奉行像が形づくられたが、その多くは後世の創作と伝わる。1752年に没した。
未到