若狭小浜藩主を務め、幕府の大老に任じられた重臣。三代将軍家光から四代家綱の代にかけて幕政の中枢にあり、家光からの信任が特に厚かったと伝わる。島原の乱の鎮圧をめぐる対応にあたり、また将軍の代替わりに際して殉死の是非が議論された際にも関与するなど、幕政の要として重きをなした。同時代に同じ酒井姓で老中を務めた酒井忠世・忠勝らと混同されやすいが、温厚篤実な人柄で知られた老臣であった。