薩摩藩第八代藩主で、開明的な藩主として知られる。蘭学をはじめとする学問を奨励し、天文観測のための施設や藩校造士館、医学院などを設立して、薩摩に学芸振興の気風をもたらした。娘を将軍徳川家斉の御台所として嫁がせ、将軍家の岳父として権勢を誇る一方、その事業や華美な生活は藩財政を大きく圧迫し、後の藩を深刻な窮乏に陥らせる一因ともなった。功罪あわせ持つ、近世薩摩の転機に立った藩主である。