江戸時代中期から後期の蘭学者・医師で、宇田川玄随の養子となって宇田川家を継ぎ、津山藩医を務めた。『和蘭内景医範提綱』などの著作を通じて西洋の解剖学・生理学を整理し、日本の医学用語を数多く定めて解剖学を体系化した。また薬物学の『遠西医方名物考』の編纂にも関わり、当時なお手探りだった蘭方医学に確かな骨格を与えた。宇田川家三代の学統を支え、近代医学へ至る道を整えた人物である。