江戸幕府第12代将軍。父・家斉の大御所政治が続く間は実権に乏しかったが、家斉の死後に親政を志し、水野忠邦を老中首座に任じて天保の改革を断行させた。しかし倹約令や株仲間の解散などの強引な改革は各方面の反発を招いて頓挫し、忠邦も失脚した。晩年の1853年、ペリー率いる黒船が浦賀に来航して幕府が激動へ向かうさなか、その直後に病没した。優柔とも評される治世は、幕末の動乱前夜を象徴している。