平安中期の公卿で、藤原兼家の三男。花山天皇を言葉巧みに誘い出して出家・退位へと導いた策謀の実行役として知られ、これにより父兼家の摂政就任と一族の権勢を決定づけた。父の死後、望んだ関白の座にようやく就いたが、折からの疫病に倒れ、就任からわずか七日ほどで急死したため「七日関白」と呼ばれる。栄達を目前に果てた不運の生涯であった。