大正から昭和初期の大蔵官僚・政治家。立憲民政党を率いて首相となり、その質実剛健な人柄から「ライオン宰相」と呼ばれた。緊縮財政と金解禁を断行して財政の立て直しを図り、ロンドン海軍軍縮条約の締結を推し進めたことで知られる。しかし軍縮をめぐる統帥権干犯問題で軍部や右翼の激しい反発を招き、1930年に東京駅で右翼青年に狙撃された。重傷を押して政務に復帰したものの、その傷がもとで翌年に死去した。