未到
細川勝元
ほそかわかつもと
hosokawa katsumoto
略歴
室町時代の武将で、幕府の政務を統轄する管領を務めた細川京兆家の当主。若くして管領の座に就き、幕政の中枢を担った。畠山・斯波両家の家督争いや将軍後継問題が絡み合うなか、勢威を張る山名宗全と対立を深め、1467年に始まる応仁の乱では東軍の総大将として、宗全率いる西軍と京都を舞台に激突した。乱は決着を見ないまま長期化し、1473年、奇しくも宗全とほぼ時を同じくして病没した。文雅を好んだ人物としても知られ、禅の名刹龍安寺を創建したことでも名を残す。両雄の死後も戦火は止まず、時代は戦国へと傾いていった。
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