室町後期の武将で、名門細川京兆家の当主として管領を務めた。1493年、将軍足利義材(義稙)を廃して足利義澄を擁立する明応の政変を起こし、事実上幕府の実権を握って「半将軍」と呼ばれるほどの権勢をふるった。一方で修験道に深く傾倒し、生涯妻帯せず男子を持たなかったため養子を複数迎え、その後継争いが家中の混乱を招いた。1507年、家臣によって暗殺され、細川氏はその後長く内訌に苦しむことになった。