平安中期の女流歌人で、中宮彰子に仕えた。伊勢神宮の祭主大中臣家に生まれ、歌の家柄の血を引く。宮中に献じられた奈良の八重桜を受け取る役を任された折、即座に詠んだ「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」の歌が、その機知と技量を余すところなく示す名歌として広く知られ、百人一首にも採られている。女房三十六歌仙の一人に数えられ、宮廷歌人として名声を得た。