未到
源義家
みなもとのよしいえ
minamoto no yoshiie
略歴
平安後期の武将で、河内源氏の棟梁。石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎義家と称され、後世まで武士の理想像として仰がれた。父頼義に従って陸奥の安倍氏を討った前九年の役で早くから武名をあらわし、のちに陸奥守として出羽の清原氏の内紛に介入した後三年の役では、雁の列の乱れから伏兵を見抜いたという逸話も伝わる。ただしこの戦を朝廷が私戦とみなして恩賞を与えなかったため、義家は私財を投じて配下に報い、これによって東国武士の心をつかみ、武家源氏が坂東に確固たる地盤を築く礎を据えた。その武勇と信望は、のちに子孫の頼朝が武家政権を樹立する遠い源流となった。
未到