平安中期の第62代天皇で、醍醐天皇の皇子。父帝の延喜の治と並び称される治世を敷き、摂政・関白を常置せずに天皇自ら政務を主導する親政を行った。その治世は「天暦の治」と呼ばれ、後世に延喜天暦の聖代として理想の御代とたたえられた。和歌や管絃など宮廷文化の興隆にも心を寄せ、勅撰集の編纂や歌合の催しを通じて王朝文化の花開く土壌を育んだとされる。藤原師輔の娘安子を中宮に迎え、その子が冷泉・円融両天皇として位を継いだ。