未到
平維盛
たいらのこれもり
taira no koremori
略歴
平重盛の嫡男で、清盛の孫にあたる貴公子。容姿すぐれた優雅な公達であったと伝わるが、武将としては振るわなかった。治承四年(1180)、平家の総大将として源頼朝を討つべく東国へ下ったものの、富士川の戦いで、夜半に飛び立つ水鳥のいっせいの羽音を敵の夜襲と取り違え、戦わずして総崩れとなって敗走したと『平家物語』は伝える。一門の都落ちにも従ったが、やがて陣を離れて出奔し、高野山で出家。その後、熊野三山を巡拝したのち、熊野の沖で入水して果てたと伝わる。武門に生まれながら戦を厭い、我が子恋しさに苦悩しつつ死を選んだ繊細な人物像が、平家滅亡の哀話のひとつとして語り継がれている。
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