未到
藤原不比等
ふじわらのふひと
fujiwara no fuhito
略歴
藤原鎌足の子として生まれ、律令国家の骨格を築き上げた奈良時代初期の大政治家。父の死で一時は不遇のうちにあったが、やがて頭角をあらわし、701年の大宝律令、さらに養老律令の編纂を主導して、天皇を中心とする中央集権的な統治の仕組みを整えた。持統・文武・元明・元正と歴代の天皇に重んじられ、右大臣として朝政を握った。娘の宮子を文武天皇に、光明子を後の聖武天皇に嫁がせて外戚としての地位を固め、藤原氏が以後千年にわたり栄える基礎をつくった。武智麻呂・房前・宇合・麻呂の四子はそれぞれ南家・北家・式家・京家を興し、藤原四家の祖の父となった。720年に没し、後に太政大臣・淡海公を追贈された。実は天智天皇の落胤であったという説も古くから語り継がれている。
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