藤原不比等の次男で、藤原北家の祖。四兄弟の中でも聖武朝の政治で重きをなしたが、後世にその名がとりわけ知られるのは、この北家が平安時代に摂政・関白を独占し、藤原氏の栄華を極めた摂関家の直系にあたるためである。737年の天然痘の大流行により、兄弟とともに病没した。