藤原不比等の三男で、藤原式家の祖。遣唐副使として唐に渡って大陸の文物に触れ、帰国後は行政や軍事の両面で活躍した。蝦夷に備える鎮守将軍や西海道の防衛にあたるなど武にも通じ、四兄弟の一人として朝政を担ったが、737年の天然痘の大流行によって兄弟とともに病没した。子の広嗣は後に九州で反乱を起こしている。