未到
古田織部
ふるたおりべ
furuta oribe
略歴
千利休に茶を学んだ利休七哲の一人で、武将としても豊臣秀吉・徳川家康に仕えた。師の利休が没したのちは天下一の茶匠と目され、二代将軍徳川秀忠の茶道指南役も務めた。歪みやひび、大胆な文様を良しとする自由奔放な美意識で知られ、その好みを反映した緑釉の陶器は「織部焼」と呼ばれて今も親しまれる。整った利休の侘びに対し、動きと遊びに満ちた「へうげもの(ひょうきん)」の美を切り拓いた革新者である。しかし大坂の陣に際して豊臣方への内通を疑われ、弁明せぬまま1615年に切腹を命じられた。茶の湯に新境地を開きながら悲劇的な最期を遂げた、桃山を象徴する茶人といえる。
未到