未到
北条泰時
ほうじょうやすとき
hojo yasutoki
略歴
鎌倉幕府の第三代執権で、北条義時の子。承久の乱では幕府軍の総大将として京へ攻め上り、勝利の立役者となった。乱後は六波羅探題として西国の統治にあたり、父の死後に執権を継ぐと、叔父時房を連署に据えて補佐役とし、有力御家人からなる評定衆を設けて合議による政治を進めた。貞永元年(1232年)には武家最初の体系的法典『御成敗式目』を制定し、道理と先例に基づく公正な裁判の基準を示して、御家人社会の秩序を確立した。私欲を離れた清廉で温厚な人柄と善政は高く評価され、後世まで名執権の模範と仰がれた。執権政治の基礎を固めた功績は大きい。
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