未到
本多正信
ほんだまさのぶ
honda masanobu
略歴
徳川家康の懐刀として江戸幕府草創期の政策を主導した謀臣。もとは家康に仕えたが、三河一向一揆では一揆方に転じて主家を離れ、諸国を流浪した末に帰参したと伝わる異色の経歴を持つ。武辺よりも知略に長け、その老獪な智謀ゆえに三河武士からは煙たがられる一方、家康からは深く信頼され、内政・外交の要となった。関ヶ原の戦い後、江戸幕府が開かれると、諸大名の統制や法度の整備など、幕藩体制の骨格づくりに手腕を発揮した。子の本多正純もまた将軍秀忠のもとで権勢をふるい、「本多父子」と並び称された。家康が「友」と呼んだともいわれるほど君臣の情は厚く、家康の死のわずか二か月後に後を追うように没した。
未到