未到
石田三成
いしだみつなり
ishida mitsunari
略歴
近江の生まれで、幼少より豊臣秀吉に仕え、その才を認められて五奉行の筆頭にまで昇りつめた官僚武将。太閤検地や兵站の差配など、豊臣政権の内政・実務を一身に担い、行政家として抜群の手腕を発揮した。三献の茶の逸話に見えるように、若き日から機転で秀吉の目に留まったと伝わる。秀吉の死後、豊臣家の秩序を守ろうとして台頭する徳川家康と鋭く対立し、慶長五年、諸大名に呼びかけて西軍を挙兵した。しかし関ヶ原の決戦で小早川秀秋らの裏切りにあって敗北。近江へ逃れたのち捕らえられ、京都六条河原で斬首された。融通のきかぬ性格ゆえ人望に乏しかったとも評される一方、義を貫き主家に殉じた生涯は後世に多くの共感を集め、判官びいきの対象として今なお人気が高い。
未到