未到
加藤清正
かとうきよまさ
kato kiyomasa
略歴
戦国から江戸初期にかけての武将・大名で、豊臣秀吉子飼いの猛将として知られる。尾張中村の生まれで、母が秀吉の縁者にあたる縁から幼くして秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いでの奮戦により「賤ヶ岳七本槍」の一人に数えられて頭角を現した。長槍を振るう剛勇と築城の才を兼ね備え、肥後熊本の領主として難攻不落と謳われた熊本城を築き上げた。文禄・慶長の役では朝鮮に渡って各地に転戦し、虎を退治したという豪快な伝説が語り継がれる。武断派の代表格として石田三成ら文治派と激しく対立し、秀吉の死後は徳川家康に接近、関ヶ原の戦いでは九州で東軍として働いた。豊臣家への忠義も篤く、晩年は家康と豊臣秀頼の二条城会見を仲介したが、その帰路に発病し1611年に没した。治水や新田開発にも尽くし、肥後では今も「清正公さん」と親しまれ神として祀られている。
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