未到
小早川秀秋
こばやかわひであき
kobayakawa hideaki
略歴
豊臣秀吉の正室・北政所の甥として生まれ、秀吉の養子となって寵愛を受けたが、のちに毛利一門の名門・小早川隆景の養子に出された人物。若くして中納言となり金吾中納言と呼ばれた。関ヶ原の戦いでは西軍として松尾山に布陣しながら、去就を決めかねて日和見を続け、決戦当日、東軍の徳川家康方に寝返って大谷吉継の陣に攻めかかった。この裏切りが西軍総崩れの引き金となり、一日で勝敗を決したことで歴史に名を刻む。戦後は備前岡山藩主に加増されたが、慶長七年、わずか二十一歳で急死し、後継ぎなく家は断絶した。若い死は、裏切りゆえの祟りや酒毒のためとも取り沙汰され、後世まで悪名とともに語られている。
未到