未到
九鬼嘉隆
くきよしたか
kuki yoshitaka
略歴
志摩を本拠とした水軍大名。もとは志摩の国人であったが織田信長に仕え、その海上戦力の中核を担った。石山本願寺を支援する毛利水軍に第一次木津川口の戦いで敗れると、鉄板で装甲した巨大な軍船「鉄甲船」を建造し、第二次木津川口の戦いで毛利水軍を打ち破って雪辱を果たした。信長の死後は豊臣秀吉に仕え、文禄・慶長の役でも水軍を率いた。関ヶ原の戦いでは西軍に付いたが、子の守隆が東軍に属して家名を保つべく親子で敵味方に分かれた。西軍の敗報を受けて自刃し、海賊大名の代表としてその名を残した。
未到