織田信長に古くから仕えた重臣で、堅実な実務能力を買われた宿老。武勇よりも段取りや調整に長け、天下の巨城・安土城の普請奉行を務めたことに象徴されるように、信長政権の土台を支える役回りを担った。若狭や越前に所領を得て「米五郎左」の異名でも知られる。本能寺の変で信長が斃れた後は清洲会議に四宿老の一人として参画し、羽柴秀吉を支持した。晩年は病に苦しみ、越前北ノ庄で没した。