未到
大谷吉継
おおたによしつぐ
otani yoshitsugu
略歴
豊臣秀吉に智勇の臣として仕え、越前敦賀城主となった武将。若くして秀吉に将来を嘱望され、「百万の軍勢を率いさせてみたい」と評されたと伝わるほどの器量の持ち主だった。石田三成とは無二の親友で、二人の友情は名高い。晩年は病を得て、業病により顔を布で覆っていたと伝わり、ある茶会で三成が友の飲み残した茶を意に介さず飲み干した逸話は、その篤い交わりを物語るものとして語り継がれる。関ヶ原の戦いでは、三成の挙兵に無謀と諫めながらも義に殉じて西軍に加わり、小早川秀秋の裏切りをあらかじめ警戒して防いだが、続く諸隊の寝返りに抗しきれず陣は崩れ、慶長五年に自刃した。義に生きた武将として後世に称えられている。
未到