未到
大内義隆
おおうちよしたか
ouchi yoshitaka
略歴
周防・長門を中心に山陰・北九州にまで及ぶ広大な領国を支配した、西国一の大大名。応仁の乱以来の名門大内氏の当主として貿易と外交に長け、明との勘合貿易で富を蓄えた。荒廃した京を離れた公家や文人を山口に招き入れ、和歌や連歌、学問を庇護して、山口を京都に匹敵する文化都市「西の京」へと育て上げた。しかし武よりも文に傾く治世に家中の不満が高まり、重臣陶晴賢が謀反を起こす。天文20年、追い詰められた義隆は長門の大寧寺で自害し、名門大内氏の栄華はここに崩れ去った。この大寧寺の変は、後の毛利元就の飛躍を招く西国の転機ともなった。
未到