未到
龍造寺隆信
りゅうぞうじたかのぶ
ryuzoji takanobu
略歴
戦国期の肥前の戦国大名。少弐氏の衰退のなか一時は還俗の身から身を起こし、離散していた龍造寺一族を再興して肥前一国を統一、勢いに乗じて筑前・筑後・肥後にまで版図を広げ「五州二島の太守」と称された。その苛烈さと勇猛から「肥前の熊」と恐れられ、九州北部で大友・島津と並ぶ三大勢力の一角を築いた。しかし専横が進んで家中の離反を招き、1584年、島原半島の沖田畷の戦いで島津・有馬連合軍の伏兵に大敗、自らも討ち取られて非業の最期を遂げた。以後、龍造寺家の実権は重臣の鍋島直茂へと移っていった。
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