未到
藤堂高虎
とうどうたかとら
todo takatora
略歴
戦国から江戸初期を代表する武将にして、日本屈指の築城の名手。近江の生まれで、若い頃は仕える主君を次々と替え、生涯で七度も主君を替えたと語られるほど流転の前半生を送った。浅井氏の家臣に始まり、やがて豊臣秀吉の弟秀長に見出されて頭角を現し、水軍や普請の才で重用される。関ヶ原の戦いでは早くから徳川家康に接近し、以後は家康の絶大な信任を得て外様ながら譜代同然の扱いを受けた。今治城・伊賀上野城・宇和島城など各地の名城を手がけ、高石垣と層塔型天守を用いた合理的な縄張りで築城技術を大きく前進させた。伊勢津藩の藩祖となり、変転の激しい世を巧みに泳ぎ切って三十二万石の大名にまで上りつめた立身の人である。
未到