未到
豊臣秀頼
とよとみひでより
toyotomi hideyori
略歴
豊臣秀吉の待望の嫡子で、母は淀殿。秀吉が晩年に得たただ一人の実子として、豊臣家の後継者となった。父の死後、幼くして家督を継ぐが、関ヶ原の戦いを経て徳川家康が実権を握ると、豊臣家は摂津・河内・和泉の一大名の地位へと押し込められてゆく。慶長十九年、秀頼が再建した方広寺の梵鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文を家康が家康の名を分断し豊臣を君として楽しむものと難じた方広寺鐘銘事件が口火となり、両家は開戦へ至る。大坂冬の陣・夏の陣で徳川方の大軍に攻められ、慶長二十年、大坂城は落城。秀頼は母淀殿とともに自害し、ここに豊臣家は滅亡した。二十三歳であった。
未到