鎌倉末から南北朝の動乱を生き抜いた武将で、山名氏中興の祖とされる。新田義貞や足利尊氏に従って各地を転戦し、時に南朝、時に北朝と主家を移りながら勢力を広げ、動乱の混沌を巧みに利用して伯耆・因幡・丹波・丹後・美作の五カ国の守護へと成り上がった。この時氏が築いた地盤が、やがて一族で全国六十余州の六分の一を領し「六分の一衆」と称された山名氏繁栄の礎となる。応仁の乱で西軍を率いた山名宗全は、この時氏の曾孫にあたる。