薩摩藩士で、藩内過激尊攘派の中心人物。国事に奔走し、京都で挙兵して幕府に一撃を加えようと図ったが、藩の実権を握る島津久光の抑制策と衝突する。文久二年、京都伏見の寺田屋に集った同志のもとへ久光が鎮撫の使者を送り、説得に応じない有馬らと同じ薩摩藩士との間で凄惨な同士討ちが起こった(寺田屋事件)。有馬は乱闘のなかで斬られて命を落とした。攘夷の理想に燃えながら、味方の手にかかって斃れた悲劇の志士として語られる。