戦国期の淡路出身の水軍武将。畿内に一大勢力を築いた三好長慶の弟にあたり、淡路の安宅氏を継いで淡路水軍を率い、三好政権の海の力を支えた。温厚で人望のある人物だったと伝わるが、兄長慶の晩年、家中の讒言によって謀反を疑われ、1564年に居城の飯盛山城へ呼び出されて誅殺された。無実の弟を失ったことが長慶の心身を深く衰えさせ、まもなく長慶自身も没して三好家没落の一因となったと語られる。