長州藩の下級藩士の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾に学んだ志士。塾生の中でもとりわけ師の志を体し、松陰が幕府老中間部詮勝の要撃を計画したとき、多くの門下が慎重論に傾くなか唯一これに同調したと伝わり、久坂玄瑞らとともに「松下村塾四天王」の一人に数えられる。師の遺志を継いで攘夷運動に身を投じ、1864年の禁門の変で長州勢とともに戦い、若くして戦死した。