未到
児玉源太郎
こだまげんたろう
kodama gentaro
略歴
長州徳山藩の武士の家に生まれた陸軍軍人で、日本陸軍随一の頭脳と称された名参謀。少年時代に戊辰戦争へ従軍し、西南戦争では熊本城の籠城戦で名を上げた。以後、陸軍大学校校長や陸軍次官を歴任して兵制の近代化に尽力し、台湾総督としては民政局長に後藤新平を起用して植民地統治の基盤を整えた。日露戦争に際しては、上位の参謀総長職から自ら降格を願い出て満州軍総参謀長となり、乃木希典の旅順攻略や奉天会戦の作戦を統括して戦局を勝利へと導いた。国力の限界を冷静に見据え、早期講和の必要を説いた戦略眼でも知られる。戦後まもない1906年、参謀総長在任のさなかに急死した。児玉源太郎はその卓越した実務能力と大局観から、日露戦争の勝利を実質的に支えた立役者として今日まで高く評価されている。
未到