未到
小村寿太郎
こむら じゅたろう
komura jutaro
略歴
日向飫肥藩出身の外交官・政治家で、明治後期の日本外交を担った。外務大臣として、1902年に日英同盟の締結を実現し、日露戦争後にはアメリカのポーツマスで講和会議に全権として臨んだ。国内では賠償金の獲得を望む世論の強い期待を背負いながら、賠償なしという厳しい条件で条約を結ばざるを得ず、講和内容への不満から日比谷焼打事件が起こるなど激しい批判にさらされた。その後、陸奥宗光の遺志を継いで条約改正にも尽力し、関税自主権の回復を成し遂げて、幕末以来の不平等条約改正を完成させた。小村寿太郎は小柄な体躯ながら卓越した外交手腕を発揮し、近代日本の国際的地位の確立に大きく貢献した。
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