幕末の公家で、五摂家筆頭近衛家の当主となり、関白をつとめた。薩摩藩とのつながりが深く、島津斉彬の養女として将軍徳川家定に嫁いだ篤姫(のちの天璋院)の養父となったことで知られる。将軍継嗣問題では一橋慶喜を推す一橋派を朝廷内で支え、公武合体の立場から国事に関わった。安政の大獄では処罰を受けて謹慎させられたが、のちに復権。明治維新後も長く生き、九十一歳の高齢まで存命し、激動の時代の生き証人となった。