未到
久坂玄瑞
くさかげんずい
kusaka genzui
略歴
幕末長州藩の尊王攘夷運動を牽引した志士。藩医の家に生まれ、吉田松陰の松下村塾に学んで高杉晋作と並び「松下村塾の双璧」と称された。松陰の妹・文を妻に迎えてその信頼を受け、師の刑死後は塾の理念を継いで急進的な尊攘運動の中心人物となった。理論家として弁舌に優れ、諸藩の志士との連携や朝廷工作に奔走し、攘夷実行を朝廷に迫る運動を主導した。しかし1863年の八月十八日の政変で長州は京都を追われ、翌1864年、藩の勢力挽回を期して兵を率い上洛。禁門の変(蛤御門の変)で会津・薩摩の兵と戦って敗れ、鷹司邸内で寺島忠三郎とともに自刃し、25歳で果てた。若くして倒れたその情熱は、後の長州の倒幕運動へと受け継がれていった。
未到