長州藩士。吉田松陰の松下村塾に学び、戊辰戦争では北陸道方面などで軍功を挙げた。維新後は参議・兵部大輔などの要職に就いたが、大村益次郎の暗殺や政府の方針をめぐって不満を募らせて職を辞し、郷里萩に戻る。士族の不遇や急進的な近代化への反発を背景に、1876年に不平士族を率いて萩の乱を起こしたが、政府軍に鎮圧されて捕らえられ処刑された。西南戦争へと連なる士族反乱の一つを担った悲運の人物である。