加賀百万石を築いた前田利家の次男で、能登七尾城を預かった。関ヶ原の戦いに際し、兄利長が東軍として動くなか自身は参陣を拒んで去就をあいまいにし、戦後にその責を問われて改易された。以後は大名の座を退いて京都で隠棲し、茶の湯などに親しんで悠々と余生を送ったと伝わる。加賀前田家の栄達とは対照的な、静かな生涯を選んだ人物として知られる。