未到
真木和泉
まきいずみ
maki izumi
略歴
幕末の志士で、筑後久留米の水天宮の祠官(神職)をつとめた。尊皇攘夷運動の理論的指導者として頭角をあらわし、天皇を中心とする国家像を情熱的に説いて多くの志士を鼓舞した。久留米藩内での改革に挫折した後は長州藩に身を寄せ、その実質的な軍師として過激な攘夷路線を導いた。長州が京都で失った勢力の回復を図った元治元年(1864)の禁門の変では、決起を主導したが会津・薩摩の軍に敗れる。敗軍とともに山崎の天王山に立てこもり、同志十七烈士とともに壮絶な自刃を遂げた。その死は尊皇攘夷の理想に殉じた象徴として長く語り継がれ、明治維新の精神的な礎の一つとされる。
未到