徳川家康の四男で、母は側室の西郷局。異母兄の二代将軍秀忠とは同母の兄弟にあたる。武蔵忍を経て尾張清洲五十二万石を領した。関ヶ原の戦いでは、舅にあたる井伊直政とともに先鋒を務め、島津隊への追撃で自ら傷を負いながらも武功をあげた。将来を嘱望された若武者であったが、関ヶ原で負った傷がもとともいわれる病により、慶長十二年、二十八歳で世を去った。嗣子がなく、その家は絶えた。